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2011-04-27(Wed) [長年日記]

_ フィリピン戦を舞台に、日比の二人の青年の悲劇を描く『潮汐の間』を読んだ

潮汐の間(フィスク・ブレット)

3月中旬に献本をいただいたのに、ここまで書評を書くのが遅くなってしまった。大変申し訳なく、お詫びの言葉もない。

ここまで遅くなってしまった理由は東日本大震災である。地獄と化したフィリピンの寒村の様子が、瓦礫に埋まった被災地とオーバーラップしてしまい、なにを書いていいか分からなくなってしまったのだ。

たぶん、それは本書が読者に突き付けてくるものが決して絵空事ではないということの証左でもあるのだろう。

だが、今回の震災と本書で描かれてる戦争は近いようでいて、大きな違いがある。前者が天災であるのに、後者が人災であるということだ。いかに戦争というものが、人の運命をねじ曲げ、また人を狂気に陥らせるかを強く訴えかけてくる一冊だ。

ストーリーの担い手は、二人の青年である。一人は、日本人の父とフィリピン人の母から生まれ、フィリピンの寒村で養鶏を営むラミール。もう一人は、徴兵されてラミールの村に駐留することになった日本陸軍の二等兵、森武義。

ラミールと森。二人の青年の運命が、日米の激戦が繰り広げられることになるルソン島を舞台に交差し、悲劇が紡がれていく。

日米の戦争という巨大なものを描きながらも、作者の視点は徹底的に個人にある。それは、クライマックスとなる米軍のルソン島への上陸まで至るまでに、ラミールと森のそれまでの人生を丁寧に積み上げていくことからも分かる。

早くに父と母を亡くしたラミールは、サントス家の兄妹と本当の兄弟のように育ってきた。日本軍に対抗するためにゲリラに身を投じた兄、ベニトとの友情。そして、いつの間にか、美しい少女へと成長したタラとの恋──。しかし、日本語が喋れることが分かり、日本軍の通訳として強制的に利用されるようになり、ラミールは徐々に村民から敵視されはじめる。

一方、森は、日露戦争に従軍した教師である父の薫陶を受け、強く憧れていた歩兵となるものの、古兵による激しい新兵イジメと、進駐した村で、フィリピン人に対してアジアの同胞として接するのではなく、冷酷非情な占領者として振る舞う他の日本軍の兵士たちの姿を見て、自分の中の正義が揺れ動くのを感じる。そんな中、部隊の中で、唯一、まともな大人としての姿を見せる城川上等兵を父や兄のように慕いはじめる。

作者の筆致は、ラミールや森(そして、残酷な日本兵さえも)我々とかけ離れた存在ではないことを静かに語りかけてくるようだ。

最後になるが、作者について書いておかなければならないだろう。

作者はフィスク・ブレッド。1972年生まれの、私とほぼ同世代のアメリカ人である。彼が日本語で書き下ろした小説が本書。たぶん、作者名を隠して本書を読ませれば、全員が日本人が書いた小説と思うに違いないほど、巧みな日本語だ。

だが、作者がアメリカ人と知れば、ある程度の数の日本人が「日本人はこれほど残酷ではなかった。アメリカ人が勝手なことを書いている」という感想を持つのではないかと思う。私自身は戦史の専門家ではないので、その真偽についてはなんともいえない。

こんなことを本書の書評の主題にしたくはなかったので、あえて作者について最後に書くことにした訳だが、私の考えはこうだ。

いくら正義を振りかざそうが、戦争とは人を狂わせるものだ。だから、やらないことに越したことはない──。

本書は私の考えを裏打ちしてくれた作品のように思う。


この本は本が好き!経由で献本いただきました。

Tags: 書評