ぽっぺん日記@karashi.org
2009-06-30(Tue) [長年日記]
_ 孤独であっても我々は前に進まなければならない──
素数たちの孤独(ハヤカワepiブック・プラネット)(パオロ・ジョルダーノ/飯田亮介)
素数とは、1とその数以外のどんな自然数によっても割り切れない、1より大きな自然数をいう。 いってみれば、それ自身で完結した数、他とあいなれない数といっていいかもしれない。 まさに本書の主人公のたちのように。 心に傷を負った者同士、傷口を舐め合ったとしても、それはお互いを理解したことにはならない。 そんな重いテーマを突き付けてくる小説である。
著者は1982年生まれの現役物理学者。 本書でイタリア文学の最高峰である2008年度ストレーガ賞を受賞したとのこと。 ストレーガ賞とは聞き慣れない名前かもしれないが、トマージ・ディ・ランペドゥーサの『山猫』やウンベルト・エーコの『薔薇の名前』といった世界的に読まれているイタリア文学作品が受賞したと聞けば、そのスゴさが分かるだろう。 本書もイタリアを代表する世界作品になることは間違いない。
時は1991年。 心に傷を負った少年マッティアと少女アリティアが出会う。 マッティアは自分のわがままから双子の妹ミケーラを亡くした自責の念から自傷行為を繰り返し、幼少の頃の事故により片足の自由を失ったアリティアはコンプレックスから拒食症を抱えていた。 お互いの心の闇に気付き、微妙な距離感を保ったまま、寄り添い一緒に過ごし成長していく二人。 しかし、大学を卒業したマッティアに届いた一通の手紙がそんな日々を揺り動かす……。
マッティアとアリティアがほんの子供だった時から始まる本書のストーリーは、出会いと分かれを経て、二人が30代になるまで続いていく。
本書を貫くのは、人は分かり合うことはできないという虚しさにも似たものだ。
彼らの両親は心を開かない子供たちと分かり合うことを諦め、距離を置いている。 二人と心を通わせようとする友人との関係もうまくいかない。 医師や写真店店主、同僚の研究者など、マッティアとアリティアを孤独から救おうとする人物も登場するが、彼らもまたマッティアとアリティアを真の意味で理解することはできない。 マッティアとアリティアにとって、自分を分かってもらえる唯一の存在は相手しかいないのだ。 しかし、彼らは互いの心の傷に気付きつつも、それを癒すことはできない。
本書に描かれる人々の関係は、マッティアが自分を傷付けるために使うガラスの破片のように硬く冷えていて、食事を受け付けないアリティアの胃袋のように空虚だ。
読書の興を削ぐので詳しくは書かないが、本書のラストに愕然とした思いを抱く読者も多いに違いない。 それでも本書の余韻が微かな希望を感じさせるのは、たとえ孤独であっても我々は前に進まなければならないという人生の真実を示すからに他ならない。
「泣ける」というキャッチコピーに飾られた傷口を舐め合うようなラブストーリーとはまったく正反対のベクテルを持つ、しかし、真に心を揺さぶる小説がここにある。 間違いなく傑作といっていい一冊だ。
7月中旬発売予定の本書はプループで献本いただきました。 刊行前の作品一早く読むという本読み冥利に尽きる機会を与えていただいた早川書房様には、改めて感謝いたします。
追記
Amazonに書影が掲載されてので掲載。




まで頂ければ幸いです。