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ぽっぺん日記@karashi.org


2009-01-04(Sun) [長年日記]

_ 連綿と続く掃海部隊の歴史に光を当てる一冊──海をひらく(桜林美佐) 海をひらく(桜林美佐)

日本は1945年9月2日に敗戦を迎え、帝国海軍は解体された。 しかし、唯一、存続を許された部隊があった。 それが本書の主人公である掃海部隊である。

戦闘部隊と違って、機雷除去を主任務とする掃海部隊は目立たず、あまり注目を集めることはない。 奇跡の船「宗谷」 で、いまも船の科学館で余生を送る南極観測船「宗谷」の知られざる軌跡を描いた著者が、連綿と続く掃海部隊の歴史に関係者へのインタビューと資料の駆使によって光を当てているのが本書である。

本書はふたつの柱で構成されている。

ひとつめの柱は、敗戦から朝鮮戦争にかけての掃海部隊の活動である。 敗戦時、日本周辺の海には、海上封鎖のために米軍によって撒かれた1万5000個、本土決戦に備えて日本側によって敷設された5万5000個の機雷があった。 事実上、封鎖された日本近海の航路をひらくことは、日本政府にとっても、占領軍にとっても緊急の課題だった。 旧海軍関係者の公職追放を延期、さらに当時としては破格の1万円の給与で掃海部隊の隊員を募るほどだったという。

やがて勃発した朝鮮戦争では、国連軍は掃海艇をほとんど持たず、その穴を埋めるため、日本の掃海部隊へ派遣要請がされることになる。 講和条約締結の交渉を進めていた日本政府はその要請を受け入れる。 しかし、戦闘地域での掃海作業はないという事前説明とは裏腹に、派遣された掃海部隊は元山上陸作戦支援など危険な任務に投入された。 過酷な任務により、一説によれば、100人近い戦死者を出すことになる。 だが、平和憲法下での海外派遣は秘匿されたのである。

もうひとつの柱は、自衛隊海外派遣の先駆けとなった湾岸戦争後のペルシャ湾掃海派遣。 敷設された機雷の情報を持たず、劣った装備でありながら、不眠不休の努力で機雷除去作業を成功させたペルシャ湾での海自掃海部隊の活躍を著者は力のこもった筆致で描きだしていく。 本書の最後に収められた海自最後の木造掃海艇の建造を追ったルポルタージュも、これまで注目されていなかった分野だけに興味深く読める内容となっている。

長らく秘密にされてきた朝鮮戦争時の日本掃海部隊やその子孫である海自掃海部隊の姿を浮き彫りにしていて、非常に読み応えのある書だが、ところどころで顔を覗かせる著者の右向きな主張には少々鼻白む部分もなくはない。 左向きな団体やなにかと自衛隊を吊しあげようとするマスコミに対する鬱憤をそのまま紙面にぶつけているようで、個人的にはその怒りは理解できなくないのだが、もう少し筆を抑えた方がよかったのではないかと感じた。

とにもかくにも力作であることは間違いない一冊である。オススメ。


海をひらく 海をひらく
桜林美佐
並木書房
¥ 1,995

_ 葬儀準備のため、親戚の家に行ってきた

昨日亡くなった妻方の親戚の葬儀は、正月明けの混んでいる時期なので斎場ではなく、来週半ばに親戚宅ですることになった(火葬場も混んでいるそうだ)。 そんな訳で事前準備の手伝いをするために、朝から親戚の行った。

……のだが、隣組のじいさんたちが話し合いが長引きまくっていて、全然片付けに入れない。 最近はどこの家も斎場で葬儀をすることが多くなって、自宅で葬儀をすることもなくなった。 そのため、じいさんたち、はりきりまくり。

伝統だからという話で、飾り物の竹や荒縄、団子を蒸すための薪と竃の調達について話し合う。 「伝統は藻前らの葬式で実践しろよな」と言いたくなるが、オレは部外者なので自重。

で、話し合いが一段落したと思ったら、今度は花輪の数が議題に……。 パチンコ屋じゃねーんだから、少しでいいんだよ、そんなもん!

せっかく高い金を出して葬儀屋に来て貰っているんだから、葬儀屋の意見を聞けばいいんだよな。 あっちも案を出しているんだし。 素人が横からごちゃごちゃ言うから決まる話も決まらない。

妻も遠い親戚だし、いつになっても片付けに入れなさそうだし、男手も足りているみたいだしということで、適当な時期に離脱して帰宅。 結局、なにもせず座っているだけだったという、正月休みの最終日としては最悪の過ごし方だった。

今の住処も古い慣習の地域だと思っていたが、そんなものじゃないレベルが存在することが分かったのは収穫かも。 じいさんたちが実権を握っているのがまずいんだろうなぁ。

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