ぽっぺん日記@karashi.org
2008-11-18(Tue) [長年日記] この日を編集
_ [読書感想][SF]『時間封鎖』は『宇宙消失』を超えた地球封鎖SFだ!
2006年度ヒューゴー賞(長篇小説部門)に見事輝いたロバート・チャールズ・ウィルソンの長篇SFが本書。
掛け値なしに、これはスゴイ本だ。 今年読んだ翻訳SFの中でもベスト級の太鼓判を押せる大傑作である。
突如、夜空から月と星々が消えた。 正体不明の界面が地球を包み込んだのだ。
……という導入からは、SF者であれば、グレッグ・イーガンの『宇宙消失』が想起されるのではないかと思うが、『宇宙消失』と本書の相似点は「地球が閉鎖される」*1という一点だけ。 前者が単に(というのも変だが)閉鎖されているだけなのに対して、後者の地球では時間の速さが外界の1億分の1になってしまうという効果が付随するのだ。
贋物とはいえ、太陽が毎日昇ることが分かり、徐々に〈スピン〉と呼ばれるようになった境界に慣れはじめた人類は時間傾斜の効果が明らかにされるにつれ、気付きはじめる。 このままの時間の流れが継続すれば、人類よりも先に太陽が寿命を迎え、赤色巨星と化した太陽に地球が呑み込まれることを──。
ストーリーは逃亡生活を送る医師タイラー・ディプリーが過去を回顧するという形で綴られていく。 本書の核となる登場人物はこのタイラーと、兄弟同然に育ったダイアンとジェイスンのロートン姉弟の3人である。 優れた知性と行動力を持つジェイスンは父親の政治力を背景に、〈スピン〉の謎を解明すべく、NASAを吸収した宇宙機関〈ペリヘリオン〉を指導する立場へ就く。 一方、ダイアンは〈スピン〉への恐怖から終末思想を信じるキリスト教原理主義へと傾倒していく。
そこに幼い頃からダイアンへの恋心を抱いていたタイラーの想いが絡み、人間ドラマが織り成されていくのだが、SFとこの人間ドラマを両立させているところに、作者ウィルソンのスゴさがある。 あまりに人間ドラマを重視すれば、SFとしての面白さが削がれるし、SFばかりを書き込めば、完全にマニア向けの作品となってしまう。 その中間を行く絶妙な匙加減により、本書は単なるSFを超えた作品へと昇華されているのだ。
もちろん、SFとしての面白さもおさおさ怠りない。 時間の加速を逆手にとった火星テラフォーミングをはじめとする大ネタが炸裂し、文字通りの〈火星人〉まで登場してしまうのである。
〈火星人〉に ウェルズの『宇宙戦争』、バローズの『火星のプリンセス』、ブラッドベリの『火星年代記』、ハインラインの『異星の客』、ロビンスンの『レッド・マーズ』(『ブルー・マーズ』の翻訳はまだでしょうか? > 東京創元社様)を読み物として渡すシーンには、SF者であれば、ニヤリとさせられるに違いない。 さすがは
少年時代からハインライン、ブラッドベリ、スタージョンといったSF作家を読み耽り、かれらのスタイルが合成されたような作品を書きたくて執筆活動を開始した(p.360)
というウィルソンである。
広げた大風呂敷をきっちり畳むラストに感心していたところ、訳者あとがきを読んでびっくりさせられた。 なんと本書は三部作シリーズの第一弾だというのだ。 つづく、Axis、Vortexの二作品で本書で提示された謎が明らかにされるらしい。 Axisは既刊、Vortexは脱稿済みとの由。 東京創元社さんには、とりあえず、Axisの一刻も早い邦訳出版を心からお願いしたい。
- ロバート・チャールズ・ウィルソン/茂木 健 訳
- 東京創元社
- 987円
書評/SF&ファンタジー
時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)
東京創元社
¥ 987
時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)
東京創元社
¥ 987
*1 『宇宙消失』は、正確には「太陽を中心とする半径120億キロ」
2008-11-17(Mon) [長年日記] この日を編集
_ [photo][Flickr][日常]朝起きたら霧がすごかった
ハナの散歩に外に出たら、霧が立ち込めていた。
せっかくなので散歩から帰ってきてから、E-520持ち出してパチパチ写真を撮ってみた。
最後のは、間違って写してしまった一枚。
シャッタースピードをいじれば、もうちょっときれいに撮れたんだろうけど、よく分からんよ。
残りの写真はこちら。→fog_20081117 - a set on Flickr
2008-11-16(Sun) [長年日記] この日を編集
_ [読書感想]物理学の巨人の思想に触れられるエッセイ集──
「叛逆」とは穏やかではないが、もちろん革命やテロ云々といった話ではない。 著者であり、SF者にはダイソン球殻の考案者として有名なフリーマン・ダイソンは本書における「叛逆」について次のように述べている。
各文化はそれに属する人々に、地域固有の暴政を振るう。しかし、あらゆる文化の中で自由な精神が手を組み、その暴政に叛逆する。それが科学なのだ。(p.14)
それは科学に限った話ではなく、また歴史にも言えることだ──そんな思想を持つ著者のエッセイ集が本書。 The New York Review of Booksに掲載された書評を中心にして編まれている。 物理学者として名高い著者であるが、本書は科学やSFから戦争や宗教までカバーし、優れた思想家としての顔も浮き彫りにしている。
本書に収められているエッセイは全部で22篇。 原著では29篇だったものの、大部すぎるということで割愛されたとのことだが、残念に感じるのは私だけではないだろう。
正直なところ、科学については素養がないので、著者がテーマとして取り上げた本から敷衍させる論を読んでも頭の中が「???」となってしまうところもあるのだが、原爆の父ロバート・オッペンハイマーやサイバネティックスの生みの親ノーバート・ウィーナーの人物評、アインシュタインとアンリ・ポワンカレとの比較など科学的な知識がなくても面白く読めるエッセイも多い。
特に個人的に興味深かったのが、第二次世界大戦に関するエッセイ。 「科学者であるから軍事には疎いだろう」などという偏見を持ってこのエッセイを読むと、その専門的な内容に驚かされるに違いない。 しかし、英国側のオペレーションズ・リサーチ専門家として大戦を戦ったという著者の経歴を知れば、それも納得できるだろう。
著者はイギリス人にしては珍しく(?)ドイツ贔屓なようで、ドイツ軍をかなり誉めている(もちろん、ユダヤ人虐殺について激しく非難しているが)。 中でもベタ誉めに近いとも言えるのが、フランス侵攻では先陣を切り、東部戦線ではソ戦国内での戦闘、ハンガリーでの反抗作戦等で卓越した指揮官ぶりを見せたヘルマン・バルクだ。 実は、ヘルマン・バルクについてはこのエッセイで初めて知ったのだが、戦歴の数々を紹介していて参考になった。
示唆に富んだエッセイが満載の本書であるが、純粋に書評として見た場合、著者が優れた書評家といえるかどうかという点については、少々疑問だ。 というのも、エッセイとしての出来が素晴らしいのは言うまでもないが、「俎上に上がっている本を読みたくなる」タイプの書評ではないからだ。
たとえば、先日亡くなったマイケル・クライトンの『プレイ─獲物』*1の書評。 なんとダイソン先生は書評の冒頭で、ストーリーのはじまりから結末まであらすじを書いてしまっているのだ。 言うまでもなく、完全にネタばらしである。 読者の読む気を削ぐこと甚だしいと言わざるをえない。
また、科学書についても、自説を用いて反論を述べることも多く「気持ちは分かるけれど、そんなこと書いたら身も蓋もないよ」と一言いいたくなる。
本書を読んで関連本を読みたくなるかどうかはともかく、物理学の巨人の思想に触れることができる貴重な書であることは間違いない一冊だ。
関連
本書の書評を書かれている巡回先。
*1 実は積ん読になっているのだが、まぁ、それはいい。







_ naijel [どちらの小説にもマーカス・デュープリーという人物がでてきているのがひっかかかる]