ぽっぺん日記@karashi.org
2008-09-24(Wed) [長年日記]
_ [読書感想]死体を通して中国独特の文化を浮き彫りにする一冊──
中国では古来より「吃人」と呼ばれるカニバリズムがそれほど珍しいことではなかった──そんな衝撃的な内容からはじまる一冊だ。 本書は「死体」を通して独特の中国文化を浮き彫りにしている。
中国人にとって死を迎えた後は、郷土に葬られることがなにより大事なことらしい。 客死した中国人や華僑たちは現地で埋葬されず、様々に相互扶助システムにより何年もかかって故郷に運ばれるという、いわば「死体のインターネット」というべきものが近年まで(もしかして現在も)運用されていると知り驚かされた(当然、その過程で死体は腐敗していく)。 国共内戦で敗北し、タイ北部のゴールデン・トライアングルに逃げ込んだ国民党の残党はせめて頭だけでも、と頭部を北に向けて埋葬されたそうである。
さらに棺に入らず故郷に帰る死体もあったらしい。
死体運搬のプロが大金で請け負い、無事に故郷に運び届けたという。立たせたままの死体の両脇に天秤棒を通し、二人一組で前後を挟んで風のように走り去る。その姿は、まるで三人が整列して駆け抜けるようだったという。(p.51)
著者はその三人の姿を見た人がキョンシーの元ネタではなかったと指摘していて興味深い。
ここまであれば、「郷土愛」と言い表すことができるが、葬儀や埋葬後はそれだけでは済まされない。
中国の葬儀は非常に派手なものらしい。 葬儀そのものも派手ならば、棺と一緒に燃やすものも派手。 冥府で使うための模造紙幣(なんとドル!)ははじめとして、紙と竹ひごで出来た豪邸や車、パソコンやデジカメ、ケータイ、DVDデッキとなんでもござれだ。 これは死者に「あの世」でも心地良く過ごして貰いたいという生者の願いなのである。
つまり、中国人は「あの世」は「この世」とほぼ同じ世界だと考えているということになのだ。 仏教的な「あの世」をなんとなく考えてしまう日本人との文化の差を感じさせられる。
そして、死者もまた生者の奉仕に報いる必要がある。 それを知るために生者は墓を掘り起こし、骨の色で自分たちが金持ちになれるかどうかを知ろうとする。
「この世」も「あの世」も金次第。 まさに「現実主義」なのだ。 前掲のカニバリズムにしても「食べられるものはなんでも食べる」という現実主義の他ならない。
日本ではどんな悪人でも死んでしまえば鞭打たないとするのが文化であるが、中国では一度、憎悪の対象となった者は死してなお徹底的に痛めつけられる。
たとえば、日中戦争中、蒋介石に叛旗を翻し、日本の傀儡政権、南京政府を樹立した王兆銘である。 日本で客死し南京に埋葬された王兆銘は戦後、次のように報復された。
鉄筋コンクリートで頑丈に固められた王兆銘の墓は百五十キロのダイナマイトで爆破され、棺が暴かれ棺から取り出された遺体は焼却され、遺骨は野原に捨てられた。(p.176)
まさに「徹底主義」としか言いようのない復讐である。
「現実主義」と「徹底主義」。 日中関係を考える上で頭に入れたおいた方がいいキーワードだろう。
「死」という誰にも等しく訪れる事象を通して、日中文化の違いを教えてくれる一冊である。
