ぽっぺん日記@karashi.org
2008-08-08(Fri) [長年日記]
_ 植物版パンデミックが人類を滅ぼす──
チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門(ニコラス・マネー(Nicholas P. Money)/小川真)
去年、ふしぎな生きものカビ・キノコ―菌学入門(ニコラス マネー/Nicholas P. Money/小川 真)が訳された菌類学者である著者が植物病理学について語っているのが本書。
イギリス人(現在はアメリカ在住)らしいユーモアを交えつつ、菌類が原因となる植物の伝染病と人類の戦いと、その中で生じた人間模様を綴っている。
著者は北米の森林や公園の風景を一変させることになったクリ胴枯病とニレ立枯病から筆を起こし、コーヒーやカカオの木の病を経て、人類の運命を左右しかねないゴムの木や麦、トウモロコシなどの穀類、そして、アイルランドを大飢饉へと追い込んだジャガイモ枯病へと筆を伸ばしていく。
菌類たちの不思議な生態はもちろんだが、人間の経済活動のために、いかに世界中に植物が植えられていったかを知り改めて驚かされた。 一例を挙げておくと、マレー半島のゴムの木の森は有名だが、それも植民地時代にイギリスによって植林されたものだそうである。 ちなみに、ゴムの木の原産国であるブラジルからその種を盗み出したイギリス人、ヘンリー・アレクサンダー・ウィッカムは、イギリスでは英雄、ブラジルでは盗人扱いとのこと。
コーヒーについては『コーヒーの真実―世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在』(アントニー・ワイルド)を併読するとより一層面白く読めるのではないと思う。
軍事マニアとして興味深かったのは、第8章「止まらない木の枯れ」で取り上げられている菌類の伝染病を軍事利用しようとしたエピソードだ。
1950〜60年代にかけて、朝鮮半島やベトナムなどアジアに軍事介入する機会が多くなったアメリカはコムギ黒さび病菌やジャガイモ疫病菌などを生物兵器として使う研究をスタートさせた。 面白いのは、その輸送手段。 胞子をまぶしたダチョウの羽をいっぱいに詰めた爆弾を水素風船で飛ばそうとしていたそうなのだ。 太平洋戦争末期に日本軍がアメリカ本土を攻撃するために投入した風船爆弾からヒントを得たとのことであるが、最近唱えられるようになった「実は風船爆弾はアメリカにとってかなりの脅威になっていた。戦後の本土安全保障を確保するため、風船爆弾で受けた損害を隠蔽し過小評価させるよう誘導した」という説を裏付けるものといえるかもしれない。
冷戦時代のもうひとつの雄、ソ連も同じ病気を兵器として使うことに興味を示していた。 その輸送手段はアメリカのものに輪をかけてスゴい。 なんと、大陸間弾道弾で胞子を撃ち込むことを考えていたそうである。 いかにもソ連らしい大雑把さといえるだろうか。
幸いにも菌類の伝染病が軍事利用されることはなかった*1が、人類と菌類の戦いはいまだ続いている。 それどころか、人類は著しく劣勢に立たされているといっても過言ではない。 なにしろ驚くべきことに、本書で取り上げられている菌類で撲滅されているものはひとつもないのだ。 著者が「はじめに」で次のように書いている。
我々人間にできることは、生物界で気ままに生きる菌類の活動を抑え込むために、莫大な経費を浪費して戦い続けることぐらいしかない。(p.ix)
しかし、その尽力にも関わらず、徐々に被害が拡大しつつあるというのが現状のようである。 その行く末はといえば、著者が本書の原題──The Triumph of the Fungi(菌類の勝利)で暗示しているように、悲観的にならざるをえないものだ。 もし、黒さび病菌のような穀物を枯らす伝染病がパンデミックとなり地球規模に広がれば、新型インフルエンザに比肩しうる被害をもたらすことは想像に難くない。
このような事態となった原因は、著者が繰り返し述べるように人類が地球上の自然を破壊してきたことにある。 これを「しっぺ返し」と考えることはできると思うが、人類の一員としては──エゴイスティックと非難されるかもしれないが──この戦いに勝利することは難しいにしても、抑え込みがうまくいくことを願うばかりである。
本書は著者の第3作にあたる。 第1作である『ふしぎな生きものカビ・キノコ』と本書との間に、黒カビをテーマにした本があるとのことだ。 訳者あとがきによれば、日本ではあまり話題になっていないということで今回は出版が先送りされたが、要望があれば検討するということなので、ここにリクエストしておく次第。
第2作が出版されるまでに、未読の『ふしぎな生きものカビ・キノコ』を手に入れて読んでおくことにしよう。
- 小川真
- 築地書館
- 2940円
書評/サイエンス
*1 もし利用されていれば、使用者も制御できないような事態に陥っていたのではないだろうか。





まで頂ければ幸いです。