«前の日記(2008-05-24(Sat)) 最新 次の日記(2008-05-26(Mon))» 編集

ぽっぺん日記@karashi.org


2008-05-25(Sun) [長年日記]

_ 「兵士」ではなく「医師」を輸出するキューバ──世界がキューバ医療を手本にするわけ(吉田 太郎)

築地書館様より本が好き!経由で献本御礼。

マイケル・ムーアの映画『シッコ』が上映されたことを機に注目を集めるようになった、キューバの医療制度に関するルポルタージュが本書。 著者のキューバへの思い入れが強すぎるせいか、「親キューバ・反米」色が濃い点は気になるが、それを差し引いても刺激を受けることは間違いない一冊だ。

キューバは一人当たりの所得はインド並みに低いにも関わらず、乳児死亡率はアメリカ以下、平均寿命も先進国並みという医療水準にある。 それでいて一人当たりの医療費は先進国よりも格段に低いという、驚くべき成果を上げているのだ。 世界からキューバ・モデルとして注目されるのも当然と言えるだろう。

ソ連崩壊により強力な後ろ盾を失い、アメリカの経済封鎖により締め上げられた結果、経済的な苦境に立たされたキューバがなぜ、このような先進的な医療制度を確率できたのか。

  • 地域医療を充実させるためのファミリー・ドクター制度
  • 安価に医薬品を入手するとともに、外貨獲得のための自前での医薬品の生産
  • Linuxを代表とするオープンソースを活用した安価な情報ネットワークの構築

など、数々の理由が本書では挙げられているが、なんといっても大きいのが、国家の戦略として乏しいリソースを医療分野に振り分けることを決断したカストロ政権の政策だろう。 それはただ単に国民の健康という面だけに留まらず、キューバが生き残るための手段だったのだ。

本書で特に興味深いのが、キューバが展開している医療外交だ。

キューバは南米を中心に医療援助を行ない現地の医療水準に高水準化に務めるとともに、2005年には国際緊急援助隊を結成し、世界中の被災地へ派遣している。 また、ラテンアメリカやカリブ海域の視覚障害患者に対し、無償で眼科手術を施すプロジェクトを立ち上げている。 なんと、その目標人数は450万人というから驚きだ。

さらには、ラテンアメリカ医科大学を設立し、発展途上国を中心とした様々な国(「敵国」であるはずのアメリカも含まれている!)より留学生を受け入れ医師になるための教育を受けさせている。 学生は授業料をはじめとする経費を一切払う必要がない上、奨学金までも支給される。

この医療外交こそ、キューバの生存を賭けた国家戦略なのだ。 たとえば、医療援助を行なった成果として、産油大国であるベネズエラから安価に原油を入手することが可能となっている。 アメリカから原油を輸入できないキューバにとって、これがどれほど大きな意味を持つかは言うまでもないだろう。 さらに、最近ではベネズエラを率いるチャベス政権と連携して、反米・反グローバリゼーションの旗手として南米を中心にその発言力を増しつつある。

アメリカではキューバの医療外交を脅威と感じているようだ。 キューバ医療を研究するアメリカ人は次のように述べている。

こうした医師たち(引用者註:医療援助のために派遣された医師たち)は社会主義のイデオロギーよりも、重大な脅威をもたらしている。派遣先で医療活動を続けることで医師たちは、現地の医療制度や専門機関、価値観や社会構造に揺さぶりをかけている。これが現在のキューバの脅威なのだ。経済封鎖問題では、キューバを孤立させるよりも、むしろ孤立するようになっているのは米国だ。これにもキューバの医療援助が影響していると見るべきだ」(p.186)

著者は医療援助により派遣される医師たちを「医師輸出」と題しているが、これは言い得て妙だ。 本書では触れられていないので、著者がキューバの歴史を意識しているか否かは不明だが、ソ連崩壊以前、キューバはソ連から援助を受ける代償として世界各地の紛争地域に兵士を送り込んでいた。 まさに「兵士を輸出」していたのである。

「兵士」から「医師」へ──。

職種こそ大幅に変わったが、キューバの大きな貿易資源であると同時に、国家戦略の柱こそ「人的リソース」であると言えるのではないかと思う。 こんなことを書くと、著者に怒られそうではあるが。

著者は危機的な状況にある日本の医療制度の解決策として、キューバの医療制度を紹介しているが、これをそのまま日本で実践できるかといえば、難しいだろうというのが正直な感想だ。 医療制度を整備するにしても、医師数を増やすにしても、財源(著者の言うところの「実弾」)が絶対必要になる。では、その財源をどこから得るのかといった問題が第一にある 。 また、「人道」という言葉で医師を無私無欲の聖職者扱いしてしまった場合、さらに医師不足を加速させる結果にもなりかねない。

そのようなことを考えると、キューバの充実した医療制度は、やはり、個人よりも公益を優先したキューバの社会体制という土壌があったからこそ成立したものと言えるのではないかと思う (実際、最近ではキューバでも医師の所得の低さが問題になっているそうである。リッチな観光客相手のタクシー運転手は医師の40倍を稼ぐとか)。

とはいえ、キューバの医療制度から学べることもたくさんあるには違いない。 そこから何を学び取るにしろ、数々の実績を積み上げてきたにも関わらず、これまで日本ではあまり知られることがなかったキューバの医療制度を紹介している貴重な書である。


世界がキューバ医療を手本にするわけ

Amazonで購入
書評/ルポルタージュ

[]
本日のPingbacks(全0件)

«前の日記(2008-05-24(Sat)) 最新 次の日記(2008-05-26(Mon))» 編集