ぽっぺん日記@karashi.org
2002-11-16(Sat) 曇 この日を編集
_ 仕事
うげ、せっかく来たのに相方が風邪を引いたので休むとのこと。
_ 到着
発注していた Unix Network Programming vol 1 と vol 2 が到着。いつ読めるかな :D
2005-11-16(Wed) この日を編集
_ できごととか雑感とか
- うちのパートのおばさんはmergemasterをなんかカッコいいヒーローの名前だと思っていたらしい
_ [ネタ]っていうか、みんなサーヤって呼んでるよね。 - capsctrldays (2005-11-15)
妻はのりぴーと呼んでいた(もう違うけど)。
_ お客さんにごちそうになった
その席で、客さんの一人(部長さん)が、実はSFオタクで、軍事オタクで、ウォーゲーマーだったりすることが判明。
共犯者を見付けたような心境(佐藤大輔風)で、「雷電は視界が〜」とか「バルバロッサ作戦で〜」とか「ミンスクを落としたら〜」とか「ハインラインに、アシモフに〜」なんて感じで二人で盛り上がったのだが、他の人は付いていけず、ドン引きだったかも。
帰りの電車で、部長さんに最近面白かったSFを聞かれたので、『ディアスポラ』を挙げておいた。うひ。
2006-11-16(Thu) この日を編集
_ [Haskell]Haskellことはじめ(5) - 『ふつうのHaskellプログラミング』第5章
この章には、練習問題はないので、掲載されていたmyIfを書いただけ。
遅延評価を知って、なぜ「Haskellはヘプタポッド言語である」のかが、ちと分かった。
2007-11-16(Fri) この日を編集
_ [読書感想]
本が好き!経由で献本して頂いた。感謝。
元警察官という経歴のジャーナリストである著者が、2006年4月に発生した秋田県連続児童殺人事件の闇に迫っているのが本書。
現在、裁判が進行し、犯人である畠山鈴香被告が取調べに際して自白を強要されたと主張し、また「極刑を望む」と発言するなど、注目を集めている本件だが、第一の殺人事件──被告が実の娘である畠山彩香ちゃんを橋から突き落としたとされる事件──の捜査段階において、警察による数々の失策があったことは、数々の報道により知られている。
著者は、それらの失策が、実は「失策」ではなく、何らかの隠された意図の元に故意に行なわれたものではないかとの疑いを投げかけている。
その根拠として、本書は幾つもの事実が挙げている。例えば、以下のようなものだ。
- 彩香ちゃんの遺体が発見された際、警察は非常に早い段階で、事件性はなく、単なる事故だと断定し、聞き込み捜査等はおざなりにしか行なわれなかった。
- 当初「外傷なし」とされた彩香ちゃんには、実は頭部・頸部に骨折があった。
- 警察犬が「彩香ちゃんが川に転落場所」として特定したとされた河原は、被告が彩香ちゃんを橋から突き落とした場所とは全く違う場所だった。また目撃者の証言によれば、その河原には、警察犬が導いたのではなく、実際には捜査員が警察犬を引っ張っていったという。
著者は、これらが示すものは「事件にしない」という警察の意図的な工作だと結論づけている。なぜ、そのような工作を警察が行なわなければならないのか。著者は秋田県警と畠山鈴香被告の間に何らかの秘密が隠されているのではないかと推測する。
「彩香ちゃん事件」が発生した際に適正な捜査が行なわれていれば、第二の事件──米山豪憲くんが殺害された事件が発生しなかったという、著者の意見には深く同意できる。その点で警察の責任は追求されるべきだろう。 ただ、これが事件化を阻止するために行なわれた意図的なものだという見方には、その「隠蔽されなければならない秘密」の具体的な内容が提示されていないこともあって、完全に与することはできない。
また、その根拠とされている証言等も伝聞調のものが多く、果たして裏付けが取れているのかどうか疑問に思うところもある。
警察犬の捜査活動に関する「警察犬活動状況報告書」が民事裁判で明らかになれば、警察が「彩香ちゃん事件」を握り潰した動かぬ証拠となると著者は述べている。事件の真相に明らかにするためには、さらなる取材が必要だろう。
謎の多い事件の究明のためにも続篇が望まれる。
- 黒木 昭雄
- 草思社
- 1365円
書評/ルポルタージュ

2008-11-16(Sun) この日を編集
_ [読書感想]物理学の巨人の思想に触れられるエッセイ集──
「叛逆」とは穏やかではないが、もちろん革命やテロ云々といった話ではない。 著者であり、SF者にはダイソン球殻の考案者として有名なフリーマン・ダイソンは本書における「叛逆」について次のように述べている。
各文化はそれに属する人々に、地域固有の暴政を振るう。しかし、あらゆる文化の中で自由な精神が手を組み、その暴政に叛逆する。それが科学なのだ。(p.14)
それは科学に限った話ではなく、また歴史にも言えることだ──そんな思想を持つ著者のエッセイ集が本書。 The New York Review of Booksに掲載された書評を中心にして編まれている。 物理学者として名高い著者であるが、本書は科学やSFから戦争や宗教までカバーし、優れた思想家としての顔も浮き彫りにしている。
本書に収められているエッセイは全部で22篇。 原著では29篇だったものの、大部すぎるということで割愛されたとのことだが、残念に感じるのは私だけではないだろう。
正直なところ、科学については素養がないので、著者がテーマとして取り上げた本から敷衍させる論を読んでも頭の中が「???」となってしまうところもあるのだが、原爆の父ロバート・オッペンハイマーやサイバネティックスの生みの親ノーバート・ウィーナーの人物評、アインシュタインとアンリ・ポワンカレとの比較など科学的な知識がなくても面白く読めるエッセイも多い。
特に個人的に興味深かったのが、第二次世界大戦に関するエッセイ。 「科学者であるから軍事には疎いだろう」などという偏見を持ってこのエッセイを読むと、その専門的な内容に驚かされるに違いない。 しかし、英国側のオペレーションズ・リサーチ専門家として大戦を戦ったという著者の経歴を知れば、それも納得できるだろう。
著者はイギリス人にしては珍しく(?)ドイツ贔屓なようで、ドイツ軍をかなり誉めている(もちろん、ユダヤ人虐殺について激しく非難しているが)。 中でもベタ誉めに近いとも言えるのが、フランス侵攻では先陣を切り、東部戦線ではソ戦国内での戦闘、ハンガリーでの反抗作戦等で卓越した指揮官ぶりを見せたヘルマン・バルクだ。 実は、ヘルマン・バルクについてはこのエッセイで初めて知ったのだが、戦歴の数々を紹介していて参考になった。
示唆に富んだエッセイが満載の本書であるが、純粋に書評として見た場合、著者が優れた書評家といえるかどうかという点については、少々疑問だ。 というのも、エッセイとしての出来が素晴らしいのは言うまでもないが、「俎上に上がっている本を読みたくなる」タイプの書評ではないからだ。
たとえば、先日亡くなったマイケル・クライトンの『プレイ─獲物』*1の書評。 なんとダイソン先生は書評の冒頭で、ストーリーのはじまりから結末まであらすじを書いてしまっているのだ。 言うまでもなく、完全にネタばらしである。 読者の読む気を削ぐこと甚だしいと言わざるをえない。
また、科学書についても、自説を用いて反論を述べることも多く「気持ちは分かるけれど、そんなこと書いたら身も蓋もないよ」と一言いいたくなる。
本書を読んで関連本を読みたくなるかどうかはともかく、物理学の巨人の思想に触れることができる貴重な書であることは間違いない一冊だ。
関連
本書の書評を書かれている巡回先。
*1 実は積ん読になっているのだが、まぁ、それはいい。

