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2002-06-24(Mon) この日を編集

_

7時ちょっと前、起床。

今日は休むつもりだったけど、やることがあるので出社。

_ BIOSアップデート失敗

うげ。M/BのBIOSアップデートに失敗しちゃった。(泣) BIOSのアップデートに失敗したのは、今回が初めて。

たまたま同じM/Bがあったので、なんとか修復に成功。ものはHOT-541*1、フラッシュROMはソケット形式でした。手順はこんな感じ。

*1 6・7年前くらいに出た、無印Pentiumまでしか対応していない、ATマザーです。

_ 今回は、もういい加減に古いM/Bなので壊れてもいいや、という覚悟でやりました。お金を出せば、BIOSの修復をしてくれる店もあるみたいなんで、高いものの場合はそういう店に頼んだ方がいいのかもしれません。あと、こういうのもあるみたいです(使ったことはないですが)。

なんにせよ、復活できてよかった。ちなみに、上記の手順でBIOSを復活させる場合は、自己責任でどうぞ。:)

_ クレムリン・サイトの強固な守り、侵入許さず

記事を読んでも技術的なことは書いてないので詳しいことは分かりませんが。サーバはFreeBSD+Apacheみたいです。

Apache rusっていうの初耳だったんですが、Russian Apacheというものらしいです。こういうのもあるんですね。

_ 退勤

明日も早くからやることがあるので、ちょっと早目に退勤。


2003-06-24(Tue) この日を編集

_ 障害対応

お客さんとこに設置してあるファイル・サーバの反応がえらい遅いとのTELあり。

sshで繋いで見てみると、sambaのプロセスが暴走しているっぽい。どんな作業していましたかと尋ねると、総計4GBくらいのファイル*1をコピーしていたとのこと。プロセスを殺しても、どうも調子が悪いので再起動。

遠隔なんでドキドキもんですな(ぉ

*1 Illustratorのファイルとのこと。

_ お客さん訪問

客先にてPHPコードをコーディング。なんとか1時間30分で見せられるもんをデッチあげる。はぁー、疲れる。

終了後、直帰。

_ 帰宅

異様に疲れて、バタンキュー。


2004-06-24(Thu) この日を編集

_ PPPoEルータ兼NAT箱のipnat.rulesを調整


map ng0 LOCAL -> 0/32 proxy port 500 ipsec/udp
map ng0 LOCAL -> 0/32 proxy port ftp ftp/tcp
map ng0 LOCAL -> 0/32 portmap tcp/udp 10000:40000 mssclamp 1414
map ng0 LOCAL -> 0/32 mssclamp 1414
map ng1 LOCAL -> 0/32 portmap tcp/udp 10000:40000 mssclamp 1414
map ng1 LOCAL -> 0/32 mssclamp 1414
map ng1 DMZ -> 0/32 portmap tcp/udp 10000:40000 mssclamp 1414
map ng1 DMZ -> 0/32 mssclamp 1414
map ng0 from DMZ ! to DMZ -> 0/0 mssclamp 1414

ng0はプロバイダー、ng1はflets網に繋がっている。

これでDMZ内のマシンからもwww.fletsを見られるようになった(あまり意味はないが)。


2005-06-24(Fri) この日を編集

_ 今日のできごと

今日は外回りがない日なので、溜まっていた仕事を片づけるつもりが、そこら中からTEL入りまくりだったり、突然の来客ありだったりで、あまり進まない罠。

今日だけで来月中に仕上げないといけない、ちと難しそうな仕事が3件入った。忙しくなるけれども、お仕事を頂けないと食べていけない身分なので、有り難いことです。

と書いてみたり(ぉ

_

経由で。

自前の管理用スクリプトもrcNGにしようかと思い、manを読んでみたが、いまいち書き方が分からず、ググってみたらotsuneさんとこに行きついた。

さすがotsuneさん、アンテナが広いなーと感心。

Tags: FreeBSD

_

激しく参考になる。

ビデオ画像もp2pなのかと思っていた。

Tags: メモ

2006-06-24(Sat) この日を編集

_ 6.1Rだと、ucom(4)デバイスって/dev/cuaU?として生えてくるのか

4.xか5.xの頃は/dev/ucom?としてMKDEVしていたので、てっきり6.1Rでも/dev/ucom?が生えてくるんだと思っていて、ハマってしまった。

man ucomに書いてあった。

Tags: FreeBSD

_ WEB+DB PRESS Vol.33(WEB+DB PRESS編集部)

今号から定期購読を始めたのだが、期待を裏切らず、読み応え十分で満足。久しぶりに値段分の価値がある情報誌を読んだという感じ。

一方、オープンソースマガジンは、正直、ネタ切れの感が強い*1ので、定期購読は今回でやめちまおうかなーと思案中。

*1 今月号に期待していたんだけど、今いちだったし。


2007-06-24(Sun) この日を編集

_ NHKスペシャル・新シルクロード 激動の大地をゆく 第4集『荒野に響く声 祖国へ』

途中から見たのだが、ソ連崩壊後、コサックの復活が認められ、義勇兵としてチェチェン等で戦っているというレポートがされていた。

帝政ロシア時代の軍のエリート学校であった「コサック学校」も復活しているとのこと。ロシアの女の子がAK-47を分解したり、ビルの壁を懸垂降下したりしてましたよ。

ちゃんと見られなかったので、再放送を録画する予定。再放送は2007年7月29日(日)午前9時〜9時49分とのこと。

Tags: TV 軍事

_ 今日のできごと

午前

  • 叔母の家に届けもの

午後

  • 洗面所を大掃除。
  • 出掛けたら、w-zero3[es]の電池が切れていることに気付く。
  • 豆腐屋で豆腐ソフトクリーム。ウマー。
  • 喫茶店で珈琲。
  • 買い物して帰宅。
Tags: 日常

2008-06-24(Tue) この日を編集

_ copy.jsのmy.rb設定(Wikiスタイル向け)

今までWikiスタイルで

[[ふがほげ|20080624#01]]

のようなmy.rb用の書式をcopy.jsでコピーするのはちょっと不便だったんだけど、 こないだのアップデートで追加された、cunstom: function()を使えば簡単にできるようになった。

環境依存だけど、誰かの役に立つかもしれないので設定を貼っておく。

javascript <<EOM
liberator.globalVariables.copy_templates = [
    { label: 'my', value: 'tDiary my plugin on Wiki style', custom: function()"[[" + content.document.title.replace("\n","") + "|" + content.location.href.match(/\/(\d+)\.html(#p\d+)?/).slice(1).join('') + "]]" }
];
EOM

正規表現がかなり適当なのはご容赦。:-)


2012-06-24(Sun) この日を編集

_ 『ブラディ・ダーウィン: もうひとつのパール・ハーバー』

ブラディ・ダーウィン: もうひとつのパール・ハーバー(ピーター・グロース/伊藤 真)

「わかるもんか。このブラディな国でブラディな内戦をやってる連中が、ブラディな要請を我が上層部に出し、そこのブラディどもが承認したんだ。それで相対的な平和が保たれると判断して。分かったか?」(佐藤大輔『レッドサンブラッククロス』外伝第3巻「飛鳥の征けぬ空はなし」)

父親から旅行でオーストラリアのダーウィンを訪れたこと経験を聞いたことがある。白豪主義が廃止されたばかりの頃のオーストラリアだ。住民は差別的で、父親は現地でひどく不愉快な思いをしたという。

その原因には父親が非白人ということもあったのだろうが、戦時中、日本軍がダーウィンを空襲したことも大いに関係していたのだろう。しかし、父親はダーウィンが空襲を受けたということを当時知らなかったという。

しかし、それも仕方ない。本書によれば、当のオーストラリア人さえ、ダーウィン空襲があったということされ知られていないそうなのだ。

本書は真珠湾攻撃の10週後──1942年2月19日に、日本海軍の空母機動部隊によって行なわれたダーウィン空襲とその後に続いた混乱を克明に描き出した歴史ノンフィクションだ。

真珠湾攻撃とミッドウェー海戦という太平洋戦争の劈頭とターニングポイントに挟まれたダーウィン空襲は、戦史の中でも扱いが小さい。私自身も戦史には興味がある方だと思うのだが、ダーウィン空襲は名前しか知らなかった。

だが、その被害は小さくない。真珠湾のように戦艦の撃沈などはなかったものの(そもそもダーウィンには小艦艇しか存在しなかった)、駆逐艦2隻をはじめとする艦船が沈み、推定の犠牲者は300名に至るという。空襲に参加した航空機も、投下された爆弾の総数も真珠湾を上回ったのだ。

では、なぜ、ダーウィン空襲はオーストラリア国民に広く知られなかったのか。政府が真実を隠したからである。

国民をパニックに陥らせないために被害を隠す──。著者が指弾する情報統制を行なったオーストラリア政府の姿は、福島第一原発事故の被害を隠した日本政府に重なってくる。

重なるものはそれだけではない。流言飛語が飛び交う中で起きた「アデレード・リバー競馬レース」と呼ばれるダーウィン住民の大量避難騒動、軍警察(本来であれば取り締る側だ!)による暴走と略奪騒ぎ、空軍兵士の大量脱走。それらに起因するのはリーダーシップのなさだ。

空襲直後に、事態の掌握どころか、自分のカップや皿、ワインの無事ばかりに気を取られていたダーウィン行政官ほどひどくないにしろ、震災と原発事故の対応に迷走する首相官邸を思い起こす読み手は多いだろう。

日本軍の空襲を「想定外」とした事実も、巨大津波を「想定外」としていたこととも重なってくる。

特筆しておきたいのは、著者のバランス感覚だ。オーストラリア人であり、オーストラリアが空襲された事件を扱いながらも、筆致は決して日本を非難するものになっていない。日本軍が病院船を撃沈したことさえも、「故意ではなく、間違いだった」と結論づけているほどだ。

先の行政官についても、リーダーシップのなさを厳しく批判する一方で、「まっさきにダーウィンから逃亡した」という間違いは「中傷である」と切り捨てている。

戦史では、ほんの数行でしか書かれない歴史の裏に隠された真実に光を当てるとともに、国は違えど、70年後の我々に「リーダーシップとはなにか」「行政組織とはどうあるべきなのか」というものを教えてくれる良書である。

なお、タイトルの「ブラディ」とはBloodyのこと。「血塗られた」と「忌々しい、くそったれ」の二重の意味が込められている。

原書は『厄介な真実──ダーウィン空襲、1942年2月19日』というタイトルで出版されたそうだが、本書は著者が愛着を持っていたというタイトル案を採用している。こちらの方がセンスがいいと感じたことも記しておく。

Tags: 書評 軍事