ぽっぺん日記@karashi.org
2006-04-09(Sun) この日を編集
_ 近所の神社の桜祭りに行ってきた
昨晩の暴風並みの大風で桜は散ってしまったかと思っていたけれど、そうでもなかった。
で、デジカメを持っていったのだが、2枚くらい撮ったら電池切れ。予備のバッテリー持って行けばよかった。神楽とか拝殿とか写したいものがたくさんあったんだけど。
とりあえず、最後に写真に撮った狛犬をflickrプラグインのテストも兼ねてアップしてみる。
2007-04-09(Mon) この日を編集
_ [Plagger][FreeBSD]FreeBSD Daily TopicsのEFT
id:hiro-uedaさん経由で、FreeBSD Daily Topics|gihyo.jpを知った ので、EFTを書いてみた。
もう、誰か書いてそうだけど。
gihyo_jp_freebsd_daily_topics.yaml:
author: poppen handle: http://gihyo.jp/admin/clip/01/fdt/\d+/\d+ extract_xpath: body: //div[@id="article"]
XPath、イイッ!
あと、関係ないけど、id:hiro-uedaさんちのワンちゃん、かわいい!
2008-04-09(Wed) この日を編集
_ [読書感想]化石の発掘も苦難の連続──フタバスズキリュウ発掘物語―八〇〇〇万年の時を経て甦ったクビナガリュウ (DOJIN選書 14)(長谷川 善和)
化学同人様より本が好き!経由で献本御礼。
恐竜図鑑を読んだことがあれば、フタバスズキリュウの名前が記憶にある人も多いのではないだろうか。 1968年に福島県いわき市の高校生、鈴木直少年によって見付けられたこのクビナガリュウの化石は、その後日本中に化石ブームを巻き起こし、『ドラえもん のび太の恐竜』が生まれる切っ掛けとなった。 国立科学博物館に展示されている復元骨格を目にした人もいるだろう。
しかし、フタバスズキリュウがエラスモサウルス類の新属新種であることが論文に発表され、学名フタバサウルス・スズキイがつけられたのが、つい最近の2006年だったということを知る人は少ないのではないかと思う。 なんと発見から実に40年の時が流れていたのだ。
鈴木少年から化石発見の第一報を受け取り、それが恐竜に化石であることを確認した著者が、フタバスズキリュウの発掘から復元、種の同定までの軌跡を描いたノンフィクションが本書。 第一線でフタバスズキリュウに関わった著者ならではの臨場感溢れる内容で興味深く読める本だ。
本書を読んで驚かされるのが、いかに発掘が大変な作業の連続であるかということだ。 もちろん、脆く崩れやすい化石をできる限り原型のまま掘り出すという技術的な問題もそうではあるのだが、その前段階のいわゆる「政治」レベルにおいても様々な手腕が必要とされるのだ。
フタバスズキリュウの発掘に関して言うならば、なによりもまず費用をどこから得るかの問題があった。 なんと、本格的な発掘に入る前の第一次発掘については、著者たちが勤める国立科学博物館からは費用が出ず、地元の石屋さんを雇っての発掘費用や旅費等は自腹を切っていたとのこと。 第二次発掘についても、博物館の予算では足りず、国の補助金も得ることができず、朝日新聞の後援によりなんとか実現できたというのが実情らしい。
資金の目処がついた後も、発掘現場は生活道路が走る崖の下ということで地元の土木事務所との折衝を行なって工事の規模を決定し、 日本初の本格的な化石発掘で注目を浴びるがゆえのマスコミ対策を行ない、 化石を持ち帰ったことが原因によって祟りが起きては困るという地元の人を安心させるための御祓いを催し、 さらには盗難しようとする不届きな輩から化石を守りと、発掘以前の作業が山積みなのである。
無事発掘を終えたら終えたで(著者は明言していないが、後援者への義理を果たすためだろう)突貫工事で化石のクリーニング作業を行なって展示場となる百貨店巡りをするあたり「研究者も大変だなぁ」と思わずにはいられない。
冒頭に述べたフタバスズキリュウの同定が遅れた原因であるが、エラスモサウルス類の研究例が少なかったことに加えて、日本の研究機関の宿痾とでも言うべき、人材および資金不足のためのようである。
発掘記とともに本書では、そうであったに違いないと考えられているクビナガリュウの様々な生態について述べられている。 詳しい内容は本書に譲るが、その中でも個人的に一番興味深かったのが、クビナガリュウの化石の周りで見付かることが多いという石の話。 フタバスズキリュウの周辺でも見付かったそれはクビナガリュウたちが深く潜るため、飲み込んだり吐き出したりしてバラスト代わりに使っていた可能性があるという。 なんとも面白い。
私のようなUMA(未確認動物)のためのボーナストラックなのか、ネッシーやニュージーランド沖合いで日本のトロール船が引き上げた謎の腐乱死体(それとシーラカンス)に一章を当てているのも嬉しいところだ。 ただ、著者の見解はこれらのUMAの存在については、ほぼ完全否定というものなので、あまり盛り上がらないが。 まぁ、ネッシーや謎の腐乱死体については、昔から懐疑的な意見が多いので、さもありなんという感じではある。
全193ページとそれほどページ数が多くないため、多少あっさり気味な印象を受ける本書だが、逆にいえば恐竜マニアならずとも面白く読める、程良い「濃さ」の一冊だ。
- 長谷川 善和
- 化学同人
- 1470円
書評/歴史・時代(F)
2009-04-09(Thu) この日を編集
_ [読書感想]「コナン? あー、あの野蛮人が雄叫び上げているヤツ?」という人にこそ読んでもらいたい──
ヒロイック・ファンタジーの祖といっても過言ではないのが、ロバート・E・ハワードによる〈コナン〉シリーズだ。 長らく絶版状態にあったが、2006年より新訂版として復刊され、好評を博しているようだ。
本書はシリーズ第5集。 コナンの30代後半から40代前半までの活躍を描いた3篇のほか、シリーズの舞台であるハイボリアに関する資料2篇、シリーズ中でも傑作と名高い「黒河を越えて」(第4集所収)の原型となった草稿が収められている。
収録作3作について簡単に書いておこう。
冒頭に収められているのが、未開の海岸に漂着し定住する貴族とその地に眠るといわれる宝を狙う二組の海賊、そしてコナンの四つ巴争いを描いた「黒い異邦人」。 コナンが中盤になってやっとストーリーに絡んでくるという異色作だ。
「不死鳥の王」では、アキロニア王となったコナンが謀反を企てられる。 信頼していた重臣に裏切られるコナンの人望のなさが、さすがは野蛮人という感じである。:-)
表題作「真紅の城砦」は、またまた味方の裏切りに遭い、敵国の捕われの身となったコナンの逆襲を描いた作品。 クトゥルフ神話ばりの怪物が登場するので、クトゥルフ・マニアの人には、ハワードの神話作品を想起させられるのではないかと思う。
コナンといえば、剣、半裸の美女、怪物というのが共通するキーワードだと思い込んでいたのだが、3作品とも剣と怪物は登場するものの、半裸の美女が出てこなかったのは意外だった(*半裸ではない*美女は「黒い異邦人」に登場するけれど)。
もうひとつ意外だったのが、コナンは野蛮人ではあっても、決して脳ミソまで筋肉でできている訳ではないということ。 狡知に長けた海賊相手に知力を働かせたり、怪物相手の無謀な戦いを避けたりと、実際はかなりクレバーです。 > コナン。 まぁ、野蛮人らしく、逆らうヤツはすぐぶっ殺しますが。
中村融氏の格調高くも力強い訳文の素晴しさについても特筆しておきたい。 本来あったであろうパルプ雑誌臭さが抜けて、非常に読みやすい作品へと昇華されている。 まさに練達の業である。
「コナン? あー、あの野蛮人が雄叫び上げているヤツ?」という人にこそ、オススメしたいシリーズだ。
それにしても、表紙の全裸バッファローマンは誰なんだろう?
- Robert E. Howard/中村融 訳
- 東京創元社
- 924円
書評/SF&ファンタジー
2010-04-09(Fri) この日を編集
_ [読書感想]
──読み手をヴォイニッチ写本を巡る病に罹らせてしまうこと必至の一冊
いつ誰によって書かれたが分からない一冊の書物。これまで知られたことのない言語で書かれ、図版も大量に描かれているものの、そのほとんどが未知の植物や意味の分からないものばかりで、まったく内容を窺い知ることができない。
1912年に発見されたその手稿は、発見者の名をとって、ヴォイニッチ写本と名付けられた。本書は、約100年が過ぎた今に至るも、まったく謎が解明されていないヴォイニッチ写本に関するノンフィクションだ。
本書は、一説によれば、近代科学の先駆者、ロジャー・ベーコンによって書かれたともいわれているヴォイニッチ写本の来歴や、「ヴォイニッチ語」を書くために使われているかもしれない中世の暗号の歴史、これまでにヴォイニッチ研究者たちが提示してきた数々の推理を示して、ヴォイニッチ写本の魅力をたっぷりと伝えてくれる。
なんといっても読んで楽しいのが、ヴォイニッチ写本の謎を解こうと奮闘した人々の歴史だ。哲学教授、弁護士、軍の暗号解読者(日本軍のパープル暗号を破った、あのブラックチェンバーのフリードマンだ!)、医学博士など、多彩な人々がヴォイニッチ写本の謎に挑み破れてきた。写本を解読しようと熱狂するその姿は、まさに「ヴォイニッチ病」という病に罹ったかのようだ。
筆者たちは、少し離れた冷静な視点で、写本を取り巻く事象を描いていく。しかし、その裏に、ヴォイニッチ写本に魅力された著者たち自身の姿も透けて見え、読み手もまた、ヴォイニッチ病に罹ってしまうこと必至の一冊だ。




