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ぽっぺん日記@karashi.org


2003-04-08(Tue) 曇のち雨 この日を編集

_ 起床

6時半。ねむー。

色々と準備をして出発。

_ お客さん訪問

直行で、まず2件ほどお客さん訪問。昼すぎくらいまでには、とりあえず片づく。

その後、会社へ。

_ 会社

到着後、メールを読んで、仕事を片付ける。

ふー疲れた。


2006-04-08(Sat) この日を編集

_ [Windows]Portable GIMP | PortableApps.com

個人的に使うことはないと思うが、面白い。

_ [Bloglines]bloglinesが旧RSSからfeedburnerへの自動移転処理をしてくれていないっぽい

久しぶりに確認したら、旧RSSのエントリーに[!]マークが付いていた。

logを確認したところ、確かにbloglinesから旧RSSを取りに来ていないが、移転処理をしてくれないのは困るな。

Redirect permanent /~poppen/d/index.rdf http://feeds.feedburner.jp/poppen

と書いていているので大丈夫だと思っていたんだけど。

_ [FreeBSD]gmirror RAID1でトラブル(2)

先日から何日か、特に問題なく動いていたのだが、今日になって、やはりこんなエラーを吐いてしまった。

subdisk6: detached
ad6: detached
unknown: TIMEOUT - WRITE_DMA48 retrying (1 retry left) LBA=290932663
GEOM_MIRROR: Device gm0: provider ad6 disconnected.
unknown: TIMEOUT - WRITE_DMA48 retrying (0 retries left) LBA=290932663

kernel panicは起こさなかったものの、エラーメッセージの通り、ad6がdetachされてしまって片肺状態。

freebsd-questionsで、6_STABLEなら大丈夫ってなメールも見付けたことだし、実験的にRELENG_6_1に上げてみようかな(タイミング良くタグもついたし)。

_ [FreeBSD]FreeBSD Notes - Flash7のプラグインにアップグレード

ライセンスに引っ掛かって、www/linux-flashplugin*のportsが全部削除されてしまったらしい。

あちゃー。

_ できごととか雑感とか

  • 22時くらいから台風なみの暴風が吹いている。
  • これじゃ、桜はほとんど散ってしまうなー。

2007-04-08(Sun) この日を編集

_ [軍事][読書感想]知っておきたい現代軍事用語―解説と使い方(高井 三郎)

MURAJIさんの2006年ベスト色々に挙がっていたので読んでみた。

日本のマスコミの軍事オンチはつとに有名で、軍事用語の使い方もかなりいい加減だ。その代表的な例が、軍艦をなんでも「戦艦」と称してしまうこと*1ではないかと思うのだが、基本的な軍事用語について、その成立から解説しているのが本書だ。

扱われている用語の分野も

  • 安全保障・国防
  • 戦争・紛争
  • 情報
  • 後方支援
  • 軍事機構:軍政、軍令
  • 人事・補充・教育制度
  • 軍事原則
  • 統連合
  • 兵科、兵種
  • 部隊機構
  • 特殊部隊
  • 兵器と技術

と多岐に渡っていて、非常にためになった。

たとえば、国家憲兵(いわゆる帝国陸軍での憲兵)と野戦憲兵の違いも初めて知ったし(ちなみに、自衛隊の警務隊は野戦憲兵に分類されるとのこと)、指揮施設については、旅団以上が司令部と称され、それ以下の部隊規模については本部となることについても、本書を読むまで知らなかった。「大隊司令部」とか言っちゃいそうだよなー。

ただ、MURAJIさんも

決して、普通の人向けの本ではなく、軍事関係にある程度の知識がある人向けの本ではありますが。

と書かれているように、内容的に素人向きではないのは当然こととしても、純粋に一冊の書籍として見た場合も、正直、かなり読み辛い。と言うのも、漢字ばかりの文字面な上、行間が詰まっているのでリーダビリティを損なっているのだ。もしかすると、ページ数を少なくし、価格を下げようという出版社の涙ぐましい努力の賜物なのかも知れないので、一概に非難はできないが、ここらへんのバランスは難しいところだなぁと思う。

最後に重箱の隅をつつくようだが、気になるところを書いておく。HEATについて

装甲直撃時に炸薬の燃焼熱を鋼板の表面を溶解して細長い穴を開ける。〔ママ〕(p.218)

と書かれているのだが、確か、噴出したメタルジェットの速度で侵徹するんじゃなかっただろうか(俺も『兵器進化論』で仕入れた知識だが)。

少し苦言も呈してみたが、「ここに載っている用語はだいたい知っているね」というコアな軍事ヲタクでなければ、一読の価値は確実にあるし、買って本棚に並べておいても損はない一冊と言えるものと思う。

*1 佐藤大輔もネタにしていた。

_ [日常]今日のできごと

投票に行ってから、豆腐の料理屋で昼。

帰宅してから仕事。ゴールデンウィークはきちんと取りたいな。


2008-04-08(Tue) この日を編集

_ [読書感想]自らの死生観を問い直す一冊──自死という生き方―覚悟して逝った哲学者(須原 一秀/浅羽 通明)

双葉社様より本が好き!経由で献本御礼。

2006年4月に自死を遂げた哲学者須原一秀氏の遺著『新葉隠』に、浅羽通明による解説を加えたものが本書。

自死の原因としては、一般的に言われるものが、堪えられないほどの肉体的苦痛や精神的苦悶、悲観主義や厭世主義、薬などによる一時的な錯乱などであるが、著者の自死の理由はこのどれでもない。 人生の極みに達し人生を生き切ったと感じ、その後の老醜や苦痛に満ちた自然死を拒否するための自死だったのだ。

著者は『新葉隠』を書いた理由をこのように述べている

「もともと明るく陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、平常心のまま、暗さの影も異常性も無く、つまり人生を肯定したまま、しかも非常にわかりやすい理由によって、決行される自死行為がある」ということを今から立証しようとしているとしているのである。(p.53)

自死したソクラテスや三島由紀夫、伊丹十三の事例を敷衍する一方で、数千人もの人々の最後を看取り聖母と呼ばれたキューブラー・ロスが脳梗塞で倒れた後は、敬虔なキリスト教であったがゆえに自死することができず苦痛に満ちた人生を送り、最後には神に呪いの言葉を吐くようになったことにも触れ、著者は自死が人間にとって「死の穏やかな受容」であり非難されるいわれのないものであることを論じている。

著者の考えはある程度理解はできるものの、それでも同意することはできないというのが本書を読んでの正直な感想だ。 はっきり言ってしまえば、まず「自死」という結論ありきで、後付けで理論を組み立てたようにも感じられる。

著者は人生において何度も「極み」を経験し満足を覚えたことを自死の理由のひとつとして挙げている。その「極み」を覚えた瞬間のひとつを、著者はこう書いている。

幼児だった子供二人と女房の四人で自宅の風呂に入っていて、息子が娘にふざけてお湯をはねかけていて、それを避けるため娘が私の首にかじり付き、女房が向こうで頭を洗っている(p.83)

想像するだけで家族の幸せを感じることができるシーンだ。たしかに「人生の極み」といっていい瞬間だと思う。

しかし、その瞬間は著者だけによって成されたのだろうか。 そうではないだろう。 家族があってこそ成立した瞬間であるはずなのだ。 その瞬間を経験させてくれた家族のために、たとえ苦痛に満ちた人生でも生きるという選択肢は著者になかったのか考えてしまう。 もし、介護などで家族の負担になっていると思えば、それはその時に考えればいいことではなかったのか。

家族の問題まで踏み込む権利は当然、私にはないので無礼に当たることは承知で書くが、あとに残された者が「人生の極み」を覚える機会が著者の自死によって少なくなる可能性、場合によっては皆無になる可能性についてはまったく考慮はしなかったのだろうか。 これについても著者に問いたい気がする。 少なくとも著者の主張のような理由で自死を遂げようとする身内がいるとすれば、そのあまりに利己的な態度を非難せざるをえない。

さらに書くならば、著者が世界に誇るべきと書いている武士道を示した『葉隠』についての記述についても違和感を覚えた。 『葉隠』については未読なのでとやかく書くことはできないが、太平洋戦争に出征し特攻していった士官や兵士が『葉隠』に沿って「毅然として自らの死を受け入れて死んで行った」(p.206)と書くのは、あまりにもシンプルかつ楽観的すぎる見方であることは指摘しておきたい。 航空特攻は実質的には強制であったケースが非常に多かったし、有名な大和特攻でさえ命令によって行なわれたものだったのだ。

本書を読んで自分の死生観について考えてところ、ある小説のことが思い浮かんだ。

その小説とは夢枕貘の登山小説『神々の山嶺』だ。 そこに登場する登山家の手記が自分の死生観として目指すべきもののように感じたのだ。 少し長すぎるが、非常に印象的な部分なので引用する。

いいか。

やすむな。

やすむなんておれはゆるさないぞ。

ゆるさない。

やすむときは死ぬときだ。

生きているあいだはやすまない。

やすまない。 おれが、おれにやくそくできるただひとつのこと。 やすまない。

あしが動かなければ手であるけ。

てがうごかなければゆびでゆけ。

ゆびがうごかなければ歯で雪をゆきをかみながらあるけ。

はもだめになったら、目であるけ。

目でゆけ。

目でゆくんだ。

めでにらみながらめであるけ。

めでもだめだったらそれでもなんでもかんでもどうしようもなくなったらほんとうにほんとうのほんとうにどうしようもなくなったらほんとうにほんとうにほんとうにほんとうのほんとうにどうしようもなくほんとうにだめだったらほんとうにだめだったらほんとうに、もう、こんかぎりあるこうとしてもうだめだったらほんとうにだめだったらだめだったらほんとうにもううごけなくなってうごけなくなくなったら──

思え。

ありったけのこころでおもえ。(文庫版下巻、p.461-462)

たとえ往生際が悪いと言われようとも、こんな風に人生の最後の最後まで挑戦しつづけ、這いながらでも前に進み、力尽きて死をむかえるこそが、自分にとっての理想であるように思う。


自死という生き方

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神々の山嶺(下) (集英社文庫)
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本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ heikiheik [昨日『自死』という言葉とこの本のことをはじめて知って、調べてたらこの場所に辿り着きました。私にはどっちが正しいことな..]

_ poppen [heikiheikさん 力の籠もったコメントありがとうございます。本書についてはあまり肯定的な読み方はできなかった..]


2009-04-08(Wed) この日を編集

_ [読書感想]傑作ミステリふたたび──検死審問ふたたび (創元推理文庫)(パーシヴァル ワイルド/Percival Wilde/越前 敏弥)

東京創元社様より本が好き!経由で献本御礼。

劇作家パーシヴァル・ワイルドによる傑作ミステリ長篇の続篇が本書。 前作『検死審問』と同じく、溢れるユーモアと、そこに隠された見事な筆さばきが楽しめる一冊だ。

静かな執筆環境を求めて、コネチカットの小さな村トーントンの村はずれのボロ屋敷に引っ越してきた、小説家アランスカ・ティンズリー。 ある夜、ティンズリーの屋敷で出火し、屋敷は全焼。 焼け跡からティンズリーと思われる死体が発見された。 村の検死官リー・スローカム閣下と招集された6人の検死陪審員は検死審問を開廷するが……。

本作もまた前作同様、証人陳述、供述書の朗読、検死官と陪審員の発言などがミックスされた審問記録のスタイルで描かれている。 陪審員には3ドルの日当、検死官には1ページの証言を聴取するごとに25セント、さらに審問記録速記者であるスローカムの娘には1ページごとに10セントが支払われるため、やたらと審問を引き延ばそうとするあたりもおなじみのものだ。

大きく違うのは、陪審長に任命されたのが、前作ではスローカムの進行に異を唱えたイングリスであること。 審問記録にはイングリスの注釈が書き加えられているのだが、これがやたらと長い上に、審問とはまったく関係のない蘊蓄ばかりがかたむけられているという代物。 イングリスの斜め上をいってしまっている推理もいかんなく発揮されていて、笑ってしまうこと間違いなし、である。 ちなみに、イングリス氏、シャーロック・ホームズよろしく虫眼鏡片手に、現場捜査にまで行ってしまいます。

本書をさらに笑えるものにしているのが、個性的な証人たちだ。 ネタバレになるので詳しくは書かないが、延々とキノコのことを語り続ける菌類学者なんて最高におかしい。

もちろん、ただ笑えるだけの作品でないことは、前作を読んだ人であれば、ご存じの通り。 なにげないように見えるスローカムの発言や陪審員との会話に散りばめられた伏線やヒントの数々が明かされるラストには、思わず膝を打つはずだ。

わたしは陪審員にすべての情報を伝えた。

何も隠していない。(p.329)

と、スローカムが言う通り、まったくフェアな謎掛けになっている。

本書は1942年の作品であるが、ミステリとしての面白さはまったく色褪せていない。 前作と同じで恐縮だが、この言葉を贈らせていただきたい。

「名作は色褪せない」

文句なしに太鼓判を押せる傑作ミステリである。



検死審問ふたたび

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書評/ミステリ・サスペンス


2010-04-08(Thu) この日を編集

_ [読書感想]ルポ資源大陸アフリカ―暴力が結ぶ貧困と繁栄(白戸 圭一) ──アフリカの姿を経済と暴力という視点から描き出した渾身のルポルタージュ

毎日新聞のヨハネスブルク特派員だった著者が、現在のアフリカの姿を経済と暴力という視点から描き出した渾身のルポルタージュが本書。

かつて経済成長などというものとは無縁であったアフリカ諸国は、近年、地下に眠る資源により右肩上がりの急成長を遂げている。しかし、そこから生まれる富にアクセスできるものは、ごくごく一部。ほとんどの人間は、いまだに貧困にあえいでいる。いってみれば、単に格差が増大したに過ぎない。

格差を固定し、さらには広げている宿痾とでもいうべきものが暴力だ。著者は組織犯罪、内戦、人身売買といった暴力と経済格差をリンクさせ、様々な角度からアフリカの闇に光を当てている。

著者を一言で表すならば「行動の人」だ。

南アフリカでは組織犯罪の実態を明らかにするため、犯罪組織の構成員たちに接触し、ナイジェリアでは石油好景気の中、土地を奪われ、生活する術を失った人々の話に耳を傾ける。そして、コンゴ、スーダン、ソマリアといった命を落としかねない紛争地域へ飛び(時には密入国さえ辞さない!)、武装勢力側への取材を試みる。

その行動の背景にあるものこそ、「アフリカの真の姿を伝える」というジャーナリストとしての使命感に他ならない。

「史上最大の人道危機」といわれたダルフール紛争の取材では、スーダン政府の目をかいぐぐりながら取材を行ない、住民虐殺がそれまで発表されていたような反政府組織によるものではなく、政府側の主導で行なわれているという事実を迫る。

「旧ユーゴスラビアやルワンダの例が示しているように、特定民族に対する苛烈な迫害は自然発生的に拡大するものではなく、政治権力による計画的な主導がなければ置こり得ないというのが私の考えである。」(p.204)

という著者の言葉が印象的だ。

様々なニュースでもいわれているように、アフリカの資源を輸入している最大の国は、中国だ。しかし、日本もまた中国に並び、アフリカの資源を輸入している。

アフリカの格差と暴力に、日本もまた関与しているということを知らしめ、我々もアアフリカに対して責任があることを教えてくれる一冊である。


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